大賀宗九 (OGA Soku)
大賀 宗九(おおが そうく、? - 寛永7年(1630年))は日本の商人。
安土桃山時代から江戸時代初期にかけて、博多を拠点として海外貿易を行なった。
島井宗室や神屋宗湛とともに博多三傑の一人とされる。
息子は大賀宗伯。
大賀家は元々は大神の姓を名乗る豊後国の武士で、大友氏に仕えていた。
主家の滅亡とともに商人に転身し、慶長から元和年間にかけて海外貿易を行なうようになった。
この頃、中国人の助言により大賀に改名した。
慶長5年(1600年)に黒田氏が筑前国へ移封されると、それに前後して博多に移住し、宗室や宗湛とともに築城や城下町などの整備を受け持った。
これによって黒田家との結び付きが深まり、元和7年(1621年)には黒田長政から知行を与えられたが、身分を理由に辞退している。
三男の信貞(後の宗伯)を跡継ぎに選び、寛永7年(1630年)に逝去。
大賀家はそののち博多商人の筆頭となり、大賀家は幕末まで続いた。
博多商人の家格において「大賀格」が基準とされた。