大野群右衛門 (ONO Gunemon)

大野群右衛門(おおの ぐんえもん)は、赤穂藩浅野氏の家老大野知房の嫡男。
赤穂藩では部屋住みの身ながら大野家の家禄と別に米20石を支給されていた。
父とともに不忠臣として悪名高い。

赤穂藩改易後に父大野九郎兵衛が藩内で孤立すると、元禄14年(1701年)4月12日に父とともに赤穂から逃亡した。
幼い娘を置き去りにしての逃亡であったという。
その後の消息は不明。
ただ伊藤東涯によると父大野九郎兵衛は、「伴閑精」と称して、京都の仁和寺の辺りに住んでいたというので、嫡男の群右衛門もその辺で暮らしたのであろうか。

歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」においてはお軽の父を殺害する悪役斧定九郎(おの さだくろう)として登場する。
現代の忠臣蔵のドラマでもこれと史実の大野の氏が混ざって「大野定九郎」として登場してくることがある。

群右衛門については資料が少なく、史実の元禄赤穂事件上ではあまり目立たない人物であるといえる。
が、仮名手本忠臣蔵の中で見せたその凶悪な姿から忠臣蔵を扱った時代劇の中では吉良義央に次ぐ悪役として(時には吉良より凶悪に)大活躍することが多い。

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