姉小路基綱 (ANEGAKOJI Mototsuna)

姉小路 基綱(あねがこうじ もとつな、嘉吉元年(1441年) - 永正元年4月23日 (旧暦)(1504年6月5日))は飛騨国の戦国大名で飛騨国司。

姉小路昌家の子。
飛騨の乱の後、古川城に入り古川姉小路を継いだ。
当時姉小路家は3つに分裂し、他に小島家の小島勝言と向小島家の之綱という事実上3人の当主がいたが、古川家の基綱が飛騨国司を名乗った。
戦国大名としてはやや力不足だったが和歌をよくし、度々宮中の歌会に参加した。
そのためか京都では名が知られており、嫡男姉小路済継と共に今日の飛騨文学の祖となった。
左近衛中将等を経て1480年正三位参議、後1504年に木曾義元を討ち、従二位権中納言に叙されたが程なく逝去。

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