安曇比羅夫 (AZUMI no Hirafu)
安曇 比羅夫(あずみ の ひらふ、生年不詳- ?663年(天智2年))は、7世紀中頃の外交官・武将。
氏は安曇氏。
姓は山背連。
名は比良夫とも書く。
舒明天皇在任中に百済に使者として派遣されていたが、641年舒明天皇が亡くなったのに際し、翌642年百済の弔使をともなって帰国し、その接待役を務めている。
またこのとき百済の王子翹岐(ぎょうき)を自分の家に迎えている。
661年高句麗が唐の攻撃を受けると百済の救援するための軍の将軍となり、百済に渡っている。
翌662年日本へ渡来した百済の王子扶余豊璋を王位を継がせようと水軍170隻を率いて王子とともに百済に渡った。
大錦中に任じられた。
663年8月27-28日の白村江の戦いで戦死したとされる。
長野県安曇野市の穂高神社に安曇連比羅夫命(あづみのむらじひらふのみこと)として祀られる。
同神社のお船祭りは毎年9月27日に行われ安曇比羅夫の命日であるとされる。