安達高景 (ADACHI Takakage)
安達 高景(あだち たかかげ、生没年未詳)は、鎌倉時代末期の鎌倉幕府の御家人。
安達氏の一族で安達時顕の嫡男。
安達氏最後の秋田城介。
妻は長崎円喜の娘。
姉妹が執権北条高時の妻であり、内管領長崎円喜の娘を妻として父時顕と共に北条得宗家外戚として権勢を強めた。
元徳3年(1331年)、後醍醐天皇の退位を促す使者として二階堂貞藤とともに上洛している。
元弘3年/正慶2年(1333年)5月の足利尊氏反乱による鎌倉幕府滅亡に際し、時顕は高時ら北条一門と共に自害した。
しかし、高景は北条時如と共に北条氏の所領があった陸奥国へ逃れ、御内人であった曽我道性に匿われて同年暮れに奥州北部の大光寺城に籠もって反乱の兵を挙げた。
石川城、持寄城と転戦したのち建武 (日本)元年(1334年)11月、北畠顕家軍に敗北した。