富樫稙泰 (TOGASHI Taneyasu)
富樫 稙泰(とがし たねやす 文明 (日本)6年(1474年)? - 天文 (元号)4年(1535年))は富樫氏16代当主(高家の代から数えての数)。
富樫泰成の子。
仮名次郎。
父・富樫泰成が早世した為、祖父・富樫泰高の跡を継ぐ。
室町幕府10代征夷大将軍・足利義稙の偏諱で恒泰から稙泰とした。
1531年、亨禄の錯乱にて小一揆方の味方をした為、大一揆方に敗れて加賀守護の地位を追われた。
これにより守護・富樫家の権威は完全に失墜してしまい、本願寺が本格的に領国内調停者の地位を確立した。
子の富樫晴貞が跡を継いだ。
法名泰雲寺殿通安。