小出秀政 (KOIDE Hidemasa)
小出 秀政(こいで ひでまさ、1540年(天文 (元号)9年)- 1604年4月21日(慶長9年3月22日 (旧暦)))は、安土桃山時代の武将(大名)。
小出吉政・小出秀家・小出三尹・小出重堅・小出秀清の父。
妻は豊臣秀吉の母・大政所の妹であり、秀政は秀吉の叔父に当たる。
甚左衛門。
重政。
播磨守。
父は小出政重(正重)といい、織田氏の家臣であった。
その出自は藤原南家と称する。
豊臣秀吉に仕え、和泉国岸和田に3万石の所領を領した。
秀吉の死の直前に、秀吉の後継者・豊臣秀頼の補佐を秀吉から依頼された。
その経緯から、1600年の関ヶ原の戦いでは長男の吉政と共に西軍に与して、東軍に与した細川幽斎(幽斎)の守る丹後国田辺城 (丹後国)を攻撃した。
(なお、秀政は大坂城で秀頼と共にいた)
そのため、本来ならば戦後に処罰されるはずであったが、次男の秀家が東軍に属して関ヶ原本戦で活躍したため、所領を安堵されたのである。
皮肉にも秀家は父に先立って病没している。