小早川重景 (KOBAYAKAWA Shigekage)
小早川 重景(こばやかわ しげかげ、生没年未詳)は、鎌倉時代末期から南北朝時代 (日本)にかけての武将。
小早川氏の第4代当主。
奉公衆。
父は小早川祐景。
建武 (日本)5年・延元3年(1338年)2月、父・小早川祐景が奈良で討死したため、同月、祖父・小早川景宗より安芸国都宇竹原荘(広島県竹原市)・阿波国板西下荘(徳島県板野郡板野町)の一部・備前国裳懸荘(岡山県瀬戸内市邑久町虫明)などの所領を譲り受け竹原小早川家の家督を相続した。
康永4年(1345年)、京都四条通堀川 (京都府)・油小路通の屋敷地をめぐって千葉胤泰と裁判となり、四条隆蔭の裁定で勝訴している。