小槻季継 (OZUKI no Suetsugu)
小槻 季継(おづき の すえつぐ、建久3年(1192年) - 寛元2年9月27日 (旧暦)(1244年10月30日))は、鎌倉時代中期の官人。
算博士小槻公尚の子。
代々官務を務めた小槻氏は、鎌倉時代初期に小槻永業を祖とする大宮官務家と弟の小槻隆職を祖とする壬生官務家に分裂して官務の地位を争った。
季継は永業の曾孫にあたる。
元仁元年(1224年)に壬生官務家の小槻国宗(隆職の子)が没すると官務の地位に就くと、九条道家と結んで壬生官務家に押されがちであった大宮官務家の基礎を固め、以後死去まで21年間にわたってその地位を保った。
この間に紀伊守・筑前守を兼ねている。
なお、彼の日記として『左大史小槻季継記』が伝わるが、近年の研究では実際の著者は息子の小槻秀氏であったことが判明している。