岩倉具堯 (IWAKURA Tomotaka)
岩倉具堯(いわくら ともたか、生年不詳 - 寛永10年(1633年))は室町時代後期頃から江戸時代初期の公家。
最終官位は正五位木工寮。
村上源氏久我家の分家岩倉家の始祖。
正二位大納言久我晴通の四男。
兄に久我通堅(従二位権大納言)がいる。
京都洛外の岩倉に邸をおいたため、久我家から分家して岩倉家を興した。
明治維新の功臣岩倉具視は子孫にあたる。
正室は園基継(正四位近衛府)の娘。
その間に岩倉具起(従二位権中納言)、千種有能(千種家を再興、正二位権大納言)、葉室頼豊(正二位権大納言)の室、坊城俊完(従二位権大納言)の室を儲けた。