岸本辰雄 (KISHIMOTO Tatsuo)
岸本辰雄(きしもと たつお、1851年11月13日(嘉永3年10月10日 (旧暦)) - 1912年(明治45年)4月5日)は日本の法学者。
明治大学の創設者。
人物
現在の鳥取市に鳥取藩武士岸本平次郎の三男として生まれる。
戊辰戦争従軍後、1870年に鳥取藩の推薦を受け、開成学校(後の東京大学)に入学。
1872年8月、司法省法学校第1期生として入学、ギュスターヴ・エミール・ボアソナードの薫陶を受ける。
1876年7月卒業。
その後、フランスのパリ大学に留学し、1880年に帰国。
1881年、宮城浩蔵、矢代操らとともに明治大学の前身である明治法律学校を創設、初代校長となる。
宮城浩蔵が刑事法を担当したのに対し、岸本は矢代操と分担して民事法を担当した。
法制局参事官、司法省参事官、大審院判事を歴任。
1889年には地元の鳥取県から第1回衆議院議員総選挙に立候補するが、すぐに辞退している。
1890年に大審院判事に任官。
1893年に弁護士登録。
1912年、鉄道で明治大学へ向かう途中に脳貧血で死去。
墓所は谷中霊園乙4号9側。