左甚五郎 (HIDARI Jingoro)

左 甚五郎(ひだり じんごろう、生没年不詳)は江戸時代初期に活躍したとされる伝説的な彫刻職人。
落語や講談で有名であり、左甚五郎作と伝えられる作品も各地にある。
講談では地元の大工に腕の良さを妬まれて右腕を切り落とされたり、江戸城の秘密を知っていたために殺されそうになったなどの逸話が取上げられる。

伝承によれば現在の大阪府貝塚市出身で、狩野永徳に学び、北野天満宮や豊国神社 (京都市)の造営に従ったとされる。
日光東照宮の彫刻は左甚五郎の作ともいうが、その実在は疑わしい。

左甚五郎の子孫を名乗る人がおり、播磨国出身の宮大工、伊丹利勝(文禄3年(1594年) - 慶安4年4月28日 (旧暦)(1651年6月16日)の別名であり、墓は四国にあると主張している。
しかし、その人物が日光東照宮などの彫刻を手がけたという証明はなされていない。

京都市東山区の知恩院・御影堂の天井には、左甚五郎が置いていったという「忘れ傘」がある。

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