巨勢文雄 (KOSE no Fumio)

巨勢 文雄(こせ の ふみお、生没年不詳)は、平安時代前期の文人。
従四位・越前国国司。
平群氏の一族で、氏姓は味酒首のち巨勢朝臣。

貞観時代初め頃に文章得業生になり、正八位下に叙任。
のち大内記、従七位上となる。
貞観 (日本)3年(861年)巨勢氏と改賜姓される。
民部省、弁官、大学頭などを歴任。
元慶8年(884年)越前守。

応天門の変による応天門の修造で、応天門の改名を議論し、諸門の名を奏した。
弟子の三善清行が対策を受ける際、推薦文を書き「清行の才名、時輩に超越す」と記したが、清行は不合格となった。

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