平時実 (TAIRA no Tokizane)
平 時実(たいら の ときざね、仁平元年(1151年) - 建暦3年1月29日 (旧暦)(1213年2月21日))は平安時代末期・鎌倉時代初期の公卿。
父は権大納言・平時忠、室の吉田経房の女との間に平時秀と一女がある。
仁安 (日本)元年(1166年)に叙爵されると同時に越後国守となる。
讃岐国守・左近衛少将を経て、寿永2年(1183年)に正四位下・左近衛中将に到るが、平家の都落ちに従って解官。
元暦2年(1185年)3月、壇ノ浦で捕らえられる。
周防国への流罪が決まったが、源義経に接近して配所に赴こうとしなかった。
11月、義経が源頼朝と対立して都を退去するとこれに同行するが、摂津国大物浦で船が転覆し、離散して都に潜伏。
再び捕らえられて鎌倉に護送されたのち、文治2年(1186年)正月に上総国に配流された。
文治5年(1189年)赦免されて帰京。
建暦元年(1211年)には従三位に叙された。
公家でありながら「心猛き人」(『源平盛衰記』)と評された。