平永衡 (TAIRA no Nagahira)

平 永衡(たいら の ながひら、生年不詳 - 天喜4年(1056年)頃)は、平安時代後期の陸奥国伊具郡の豪族で、伊具十郎と称した。
郡司であったとも在庁官人として陸奥国府多賀城に勤務していたとも言われる。
父は不明だが、下総国の平氏の一族とする系図があり、海道平氏、岩城氏と繋がる家系であったとする意見がある。
『陸奥話記』にのみ、その名が登場する。
藤原経清は相婿、奥州藤原氏の祖である藤原清衡は甥。

はじめ陸奥国守藤原登任に従う。
1051年(永承6年)頃に鬼切部の戦いで国府と対立していた奥州六郡を支配する俘囚(ふしゅう)長の安倍頼時(頼良)の娘(史料による呼称は「中加一乃末陪」、読み方不明、安倍貞任の妹、経清室の「有加一乃末陪」は姉)を妻に迎える。
登任の後任に源頼義が任じられ、頼時が朝廷に帰服すると頼義に従う。
頼義は安倍頼時を挑発し、1056年(天喜4年)に安倍氏が蜂起し前九年の役と呼ばれる合戦に至る。
この時衣川の南にいた平永衡、藤原経清は頼義に従って戦っていたが、二人とも頼時の婿であるからと疑われていた。
さらにこの時永衡は、陣中できらびやかな銀の冑を着けているので、これは敵軍への通牒でないかと頼義に密告するものがあり、安倍氏への内通を疑われて殺される。
これが引き金となって経清は安倍氏の陣営に属し、前九年の役が長引く原因となった。

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