平為盛 (TAIRA no Tamemori)
平 為盛(たいら の ためもり、生年不詳 - 寿永2年5月12日 (旧暦)(1183年6月3日?))は平安時代末期の武将。
平頼盛の第2子。
子に駿河国守平俊盛がいたらしい。
安元元年(1175年)12月に紀伊国守、養和元年(1181年)7月に加賀国守に任ぜられる。
兄平保盛と共に同年9月には熊野討伐に出陣し、寿永元年(1182年)には諸国追討計画(未実施)で南海道方面大将に任ぜられるが、寿永2年(1183年)5月12日、倶利伽羅峠の戦いで木曽義仲の部将樋口兼光に首をはねられ討死したと『源平盛衰記』には記されている。
しかし、その後の史料にもその名が認められ、『愚管抄』では都落ちに際して父・頼盛の使者を務めたと記述されており、倶利伽羅峠での戦死は誤記の可能性もある。