弓月君 (Yuzuki no kimi)

弓月君(ゆづきのきみ/ユツキ、生没年不詳)とは『日本書紀』に記述された秦氏の先祖とされる渡来人である。
新撰姓氏録では融通王ともいう。

『日本書紀』では応神天皇16年に朝鮮半島の百済から百二十県の人を率いて帰化したという。
秦の皇帝(始皇帝とされる)五世の孫であり、渡来後、日本に養蚕・機織を伝えたとされる。

考証

加羅(伽耶)または新羅から来たのではないかとも考えられている(新羅は古く辰韓=秦韓と呼ばれ秦の遺民が住み着いたとの伝承がある)。
また一説には五胡十六国時代に氐族の苻氏が建てた前秦の王族ないし貴族が戦乱の中、朝鮮半島経由で日本にたどり着いたと言う説もある。
この説に基づくと弓月君が秦の(初代の)皇帝から五世の孫とする記述に反せず、「秦」つながりで渡来した人々が勝手に「秦」を名乗り始めたと考えてもさほど矛盾はないが、根拠は少なく今後検証の必要がある。

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