御子左家 (Mikohidari Family)
御子左家(みこひだりけ)は、藤原北家藤原道長の6男藤原長家を祖とする藤原氏の嫡流。
家名である御子左(みこひだり)の由来については、長家が醍醐天皇の皇子兼明親王の御子左第を伝領し、御子左民部卿と呼ばれたことによる。
平安時代末期から鎌倉時代前期にかけて著名な歌人である藤原俊成・藤原定家父子が現れてから、歌道の家として確立された。
以後、御子左家は長く歌壇に君臨した。
定家の子藤原為家は蹴鞠の家としても知られ、その流れは御子左流と称された。
鎌倉時代後期に為家の3人の子が家領の相続をめぐって争い、嫡流の御子左家(二条家ともいう)(二条派)、庶流の京極家(京極派)、冷泉家(冷泉派)に分かれた。
二条家・京極家の家系は南北朝時代 (日本)までに断絶し、冷泉家(上冷泉家・下冷泉家)のみが残っている。