徳大寺公清 (TOKUDAIJI Kinkiyo)
徳大寺 公清(とくだいじ きんきよ、正和元年(1312年) - 正平 (日本)15年/延文5年6月8日 (旧暦)(1360年7月21日))は、鎌倉時代から南北朝時代 (日本)の公卿。
父は中納言徳大寺実孝。
母は太政大臣西園寺公相の娘。
子に太政大臣徳大寺実時。
娘に太政大臣久我具通室がいる。
正和5年(1316年)に叙爵。
以降美作国・近衛府・近衛府などを経て、正中 (元号)3年(1326年)には後醍醐天皇中宮西園寺禧子の中宮権大夫となる。
嘉暦2年(1327年)に参議となり、公卿に列する。
正慶2年(1333年)に西園寺禧子が皇太后となるとそのまま皇太后権大夫となるも、同年に禧子皇太后の崩御に伴い、辞職した。
延元元年/建武 (日本)3年(1336年)皇太子恒良親王の春宮大夫となったが翌年に辞す。
延元3年/暦応元年(1338年)に大納言となる。
興国4年/康永2年(1343年)に近衛府・馬寮・大納言に任じられる。
正平元年/貞和2年(1346年)内大臣に任じられるも、同年右近衛大将と内大臣を辞した。
正平11年/延文元年(1356年)従一位を授与される。