恵慈 (Eiji)
慧慈(えじ、生年不詳 - 推古天皇31年2月22日 (旧暦)(623年3月31日))は、飛鳥時代に高句麗から渡来した僧。
推古天皇3年(595年)に渡来し、聖徳太子の仏教の師となった。
仏教を日本に広め、推古天皇4年(596年)法興寺(蘇我善德が寺司、現在の飛鳥寺安居院)が完成すると百済の僧慧聡(えそう)と住し、ともに三宝の棟梁と称された。
推古天皇23年(615年)、厩戸皇子が著した仏教経典(法華経・勝鬘経・維摩経)の注釈書三経義疏を携えて高句麗へ帰国した。
推古天皇30年2月22日(622年4月8日)に厩戸皇子が没したという訃報を聞いて大いに悲しみ、自らも推古天皇31年(623年)の同じ日に浄土で厩戸皇子と会うことを誓約して、言葉どおりに没したという。