文成覚 (FUMI no Jokaku)
文成覚(ふみのじょうかく、生没年不明)は、日本の飛鳥時代の人物である。
旧仮名遣いでの読みは「ふみのじゃうかく」。
672年の壬申の乱で大海人皇子(天武天皇)の側についた。
姓(カバネ)は直。
贈小錦下。
直姓の文氏(書氏)は、東漢氏に属する渡来系の氏族だが、その中での成覚の系譜は不明である。
壬申の乱について記述する『日本書紀』の中に、成覚は現れない。
『続日本紀』が、霊亀2年(716年)4月8日に、壬申の年の功臣の子に田を与えたことを記す中に、「贈小錦下文直成覚の息、従七位上古麻呂」とある。
後に、天平宝字元年(757年)12月9日に、贈小錦下文直成覚が与えられた壬申の年の功田4町が、中功にあたり、2世に伝えるべきことを太政官が決めた。
716年に子に与えた田の扱いを757年に定めたものであろう。
これにより、文成覚が壬申の乱に大海人皇子の側にたって参戦しこと、子に文古麻呂がいたことがわかる。
没年は不明だが、同じ文直(書直)の書智徳が天武天皇10年(681年)12月10日に連の姓を与えられており、このとき他の文直も連に改まったと考えられるので、「文直成覚」の死はそれ以前と推測できる。