日野俊光 (HINO Toshimitsu)

日野 俊光(ひのとしみつ、文応元年(1260年) - 嘉暦元年5月15日 (旧暦)(1326年))は、鎌倉時代の公卿。
日野家17代当主。
16代当主・日野資宣の子。
子に日野資名、日野資朝、日野資明、賢俊らがいる。
位は権大納言。

右衛門督・文章博士・右大弁・左大弁・蔵人頭等を歴任。
永仁3年(1295年)参議、同5年(1297年)権中納言、文保元年(1317年)に権大納言に至る(同年、辞職)。

伏見天皇の近臣であり、後伏見天皇・花園天皇・光明天皇の乳父である。
大覚寺統の信任も厚く、後宇多天皇の院司もつとめた。
正中 (日本)2年(1325年)から2年間、勅使として鎌倉に下り、皇位継承問題をめぐり幕府との折衝に当たったが、翌年の嘉暦元年(1326年)5月15日、任半ばにして関東で没した。

各方面の歌合にも度々参加し、嘉元百首・文保百首の作者に列なる。
新後撰集初出。
勅撰入集計33首。
家集『俊光集』がある。

[English Translation]