早川長政 (HAYAKAWA Nagamasa)
早川 長政(はやかわ ながまさ、生没年不詳)は、安土桃山時代の武将・大名。
主馬頭。
通称、喜八郎。
豊臣秀吉の馬廻衆となり、小牧・長久手の戦い、小田原の役、文禄・慶長の役などに従軍している。
文禄2年(1593年)に豊後国大分郡内の太閤蔵入地の代官となり、翌年府内城を拝領し、同国内にて17000石を領する。
朝鮮出兵時に落ち度があったとして、慶長2年(1597年)に杵築城に移されるが、秀吉亡き後の四人の五大老により、蔚山籠城時の援軍としての働きに落ち度はなかったとして、慶長4年(1599年)閏3月19日、に再び府内城主となる。
この時の知行は20000石である。
関ヶ原の戦いで西軍に属した。
慶長5年(1600年)7月中旬大坂淡路町橋を守備、7月下旬からの田辺城の戦いに参加し、毛利高政と安久口に布陣した。
戦後、改易され浪人となった。
大坂の役に大坂城に入城した。
戦後の消息は不明。