朽木稙治 (KUTSUKI Taneharu)
朽木稙治(くつき たねはる)は、丹波国福知山藩の第4代藩主。
福知山藩朽木家5代。
寛文5年(1665年)11月7日、初代藩主(当時は常陸国土浦藩の第2代藩主)・朽木稙昌の次男として生まれる。
兄の稙元がいたため相続権は無く、元禄7年(1694年)に江戸幕府第5代将軍・徳川綱吉の中奥小姓に任じられ、後に小姓組番頭に栄進した。
宝永5年(1708年)、兄から3000石を与えられている。
享保2年(1717年)に隠居する。
しかし享保11年(1726年)に甥で第3代藩主の朽木稙綱 (福知山藩主)(稙元の子)が早世したため、本家の家督を継いで第4代藩主となる。
荻生徂徠と親交があったため、藩政では文治の発展に尽力した。
しかしすでに老齢の上、実子も無かったため、稙治は弟の朽木昌充や朽木迪綱を養子に迎えた。
しかし弟たちが相次いで死去したため、迪綱の子・朽木綱貞を養子に迎えたが、綱貞が病弱な上に不和になったため廃嫡し、美濃国岩村藩から朽木玄綱を養子として迎え、享保13年(1728年)11月23日に家督を譲って隠居した。
その後は大久保下屋敷に住んで剃髪し、英山と号した。
寛保元年(1741年)7月28日に死去。
享年77。