朽木紘綱 (KUTSUKI Hirotsuna)
朽木 紘綱(くつき ひろつな、天保6年(1835年)8月 - 嘉永7年閏7月19日 (旧暦)(1854年9月11日))は、丹波国福知山藩の世嗣。
武蔵国六浦藩主・米倉昌寿の五男。
正室は朽木綱条の娘。
官位は河内国守。
第12代藩主・朽木綱張の養子となり、10代藩主・綱条の娘を正室とする。
しかし、家督相続前の嘉永7年(1854年)に早世した。
代わって、綱張の長男・朽木為綱が嫡子となった。
朽木 紘綱(くつき ひろつな、天保6年(1835年)8月 - 嘉永7年閏7月19日 (旧暦)(1854年9月11日))は、丹波国福知山藩の世嗣。
武蔵国六浦藩主・米倉昌寿の五男。
正室は朽木綱条の娘。
官位は河内国守。
第12代藩主・朽木綱張の養子となり、10代藩主・綱条の娘を正室とする。
しかし、家督相続前の嘉永7年(1854年)に早世した。
代わって、綱張の長男・朽木為綱が嫡子となった。