松平近正 (MATSUDAIRA Chikamasa)
松平 近正(まつだいら ちかまさ、天文 (元号)16年(1547年) - 慶長5年8月1日 (旧暦)(1600年9月8日))は、安土桃山時代の武将。
松平乗元の次男・松平親清(近清)の子。
通称、五左衛門。
妻は大久保六左衛門の娘。
子に松平一生、松平近次、松平正吉。
天正11年(1583年)、父親清の没後、大沼城主となり、大給松平家宗家に家老として仕えた。
石川数正が豊臣秀吉のところへ出奔する前に誘われたが拒絶したという。
天正18年(1590年)、徳川家康の関東入りの時、上野国群馬郡三蔵5500石を賜り、宗家より独立。
慶長5年(1600年)、伏見城留守居となり、伏見城の戦いで、三の丸を松平家忠とともに守るが、ついに守将鳥居元忠らとともに討死した。
この功により、嫡男一生は、加増され1万石を与えられ諸侯に列した。