松平重勝 (MATSUDAIRA Shigekatsu)

松平 重勝(まつだいら しげかつ、天文 (元号)18年(1549年)- 元和 (日本)6年12月14日 (旧暦)(1621年1月6日)))は、江戸時代前期の大名。
越後国三条藩主、下総国関宿藩主、遠江国横須賀藩初代藩主。
杵築藩能見松平家初代。

松平重吉の四男(異説有り)。
母は岩津松平親長の娘(異説有り)。
正室は鳥居忠吉の娘。
子は松平重忠(長男)、松平重長(次男)、松平重則(三男)、松平重信(四男)、松平勝隆(五男)、娘(岩瀬氏与室)など。
大隅国守。

徳川家康に仕えて初期の大番頭を勤める。
1605年(慶長10年)に伏見城の守護、1612年(慶長17年)、徳川家康の六男松平忠輝の付家老となり、越後三条2万石を与えられる。
長男・重忠は将軍家で大番頭を務めていたため、次男・重長を手元に置いた。

後年、主君忠輝が改易となるが、その上使を務めたのが重勝の五男・勝隆だったという。
その除封申し渡しでは重長ともども、上使の勝隆に付き従う形だったという。

忠輝改易後は徳川秀忠に仕え、下総関宿藩主となった。
その後1619年(元和 (日本)5年)遠江横須賀藩に移った。
1620年(元和 (日本)6年)に死去。
嫡男・重忠が跡を継いだ。

[English Translation]