林きむ子 (HAYASHI Kimko)
林 きむ子(はやし きむこ、明治17年(1884年) - 昭和42年(1967年))は舞踏家、作家、社会運動家、実業家。
大正三美人の一人として数えられる場合もある。
戸籍名は「きん」。
生涯
きむ子は東京の柳橋に生まれ、父は狂言浄瑠璃の祖といわれる初代豊竹和園太夫。
母は浄瑠璃初代の竹本素行。
異父弟に曾我廼家弁天、藤間林太郎。
俳優の藤田まことは甥に当たる。
七歳のときに新橋の料亭「浜の家」の女将内田はな(花)の養女となり、跡を継ぐように望まれ、三味線、踊り、お茶、お花など、ありとあらゆる芸事を身につけたという。
養家「浜の家」は頭山満や杉山茂丸が贔屓にし、当時は名の知れた料亭であった。
後に最初の夫となる日向輝武と結婚するが、大浦事件によって輝武は狂死してしまう。
その後、夫が死んで1年以内に6人の子供がいながら、9歳年下の林柳波と結婚したことは大正スキャンダルとして大きな話題となった。
後に娘の美登里が亡くなる頃に夫の柳波は別の女性との間に子供が生まれて、夫はその女性のところに行き帰ってこなかったが、離婚はしなかった。