林忠正 (HAYASHI Tadamasa)

林 忠正(はやし ただまさ、嘉永6年11月7日 (旧暦)(1853年)12月7日 - 明治39年(1906年)4月10日)は、日本の美術商、美術収集家。
浮世絵を始めとする日本美術をパリを拠点に紹介した。
ジャポニズムの隆盛を側面から支えた。

来歴
越中(富山県)高岡市の医家、長崎家の次男に生まれた。
幼名は長崎重次、17才の時に富山藩士林太仲(たちゅう)の養子となり林忠正と改名。
法律家を志し上京、やがて現在の東京大学に入学しフランス語と法律を学んだ。
卒業の半年前に大学を中退し1878年パリ万国博覧会の通訳として貿易商社に入社しとして渡仏。
その後パリで日本などの東洋美術を扱う会社に就職、そこでさまざまな美術品に触れることで、日本美術への理解を深め、美術商として独立。
また雑誌パリ・イリュストレ紙に日本美術の紹介の記事を寄稿した。
また『歌麿』等を執筆していた晩年のゴンクールと深い交流があり著述活動を支えた。
以下はその一例である。

林曰く、「何せ哲学的な観念については私たち日本人はどこか収集家に似ているのですよ。
つまりガラスケースを持っていて、その中には完全に引き付けられる物しか入れないのですが、かといってそのひかれる理由そのものはあまり詮索しない収集家(コレクター)なのですよ。」
なんとも独創的な(ユニーク)考察だ。
―『ゴングールの日記 1895年3月19日』(斉藤一郎訳、岩波書店)より。

病のため1905年に帰国した際、将来日本に本格的な西洋近代美術館を作るための「印象派」を始めとする膨大な西洋絵画、「浮世絵」などの流出した日本・東洋美術や蔵書のコレクションを持って帰ったが理解が得られないまま、翌年病状が悪化し没した。
没後すぐ美術コレクションは数度に分け処分され海外等へ流出、蔵書もバラバラに処分された。
「林忠正蔵書売立目録」が、柴田光彦編『反町茂雄収集古書販売目録精選集.第3巻、昭和3年1月~4年11月』(復刻版ゆまに書房.2000年)に遺されている。
研究検証が本格化したのは、この10~20年である。

[English Translation]