横浜茂勝 (YOKOHAMA Shigekatsu)
横浜 茂勝(よこはま しげかつ、生没年不詳)は、安土桃山時代の武将。
民部少輔。
横浜一庵の子といわれる。
豊臣秀長および、養子豊臣秀保に仕えたが、文禄3年(1594年)4月、秀保がにわかに没したのちに豊臣秀吉の直参となり、大和国内(播磨国内という説もあり)にて17000石を領する。
慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いでは西軍に与し、大坂天王寺口を守備、大和高取城の戦い、大津城の戦いにも参加した為に改易となり、その後の消息は不明。