檜垣嫗 (Higaki no Ona)
檜垣媼檜垣嫗(桧垣媼、ひがきのおうな)は生没年不詳、平安時代中期(十世紀)の女性歌人。
様々な伝説に包まれ、その正体は詳らかでない。
『檜垣嫗集』は、歌物語風に仕立てられた家集である。
『後撰和歌集・巻第十七・雑三』、1219番の詞書と付記によれば、筑紫国の白河という所に住んでいた「名高く、事好む女」で、大宰大弐・藤原興範に水を汲むよう乞われると、「年ふればわが黒髪も白河の みづはくむまで老いにけるかも」と詠んだという。
この歌は零落した身の上を詠んだものだが、歌を詠みかけた相手が、家集では肥後国守・清原元輔(908-990年)、『大和物語』では藤原純友の乱の追捕使・小野好古(884-968年)となっており、歌の本文も、
おいはてて頭の髪は白河の みづはくむまでなりにけるかな(『檜垣嫗集』)
むばたまのわが黒髪は白河の みづはくむまでなりにけるかな(『大和物語』)
のように、三通りある。
彼女は清原元輔と親交を結び、肥後守の任期が終わって帰京する彼を送別する際、「白川の底の水ひて塵立たむ 時にぞ君を思い忘れん」と詠んだという。
熊本県蓮台寺は、檜垣嫗が草庵を結んだ跡といい、境内には「檜垣石塔」も残る。