歌川国芳 (UTAGAWA Kuniyoshi)

歌川 国芳(うたがわ くによし、1798年1月1日(寛政9年11月15日 (旧暦)) - 1861年4月14日(文久元年3月5日 (旧暦)〉)は、江戸時代末期の浮世絵。
号 (称号)は一勇斎。

江戸時代末期を代表する浮世絵師の一人である。

しかし国芳は、同時代に活動した葛飾北斎や歌川広重らの人気絵師に比べ、日本における知名度や評価は必ずしも高いとは言えなかった。

「幕末の奇想の絵師」として注目され、再評価されるようになるのは20世紀後半になってからである。

2008年、富山県の農家の蔵から国芳を中心とした歌川派の版木が368枚発見され、購入した国立歴史民俗博物館により2009年に公開された。
これにより、国芳作品の創作過程の解明および浮世絵本来の色の復元が始まっている。
この版木については同年4月12日放送のBShi「ハイビジョン特集 幻の色 よみがえる浮世絵」、5月16日放送のNHK総合「ワンダー×ワンダー 浮世絵 よみがえる幻の色」で取り上げられた。

生涯

国芳は、1797年(寛政9年)、江戸日本橋 (東京都中央区)に染物屋の息子として生まれた。

本名は井草芳三郎。
風景版画で国際的に有名な歌川広重とは同年の生まれであり、同時代に活動した。

1811年(文化8年)、15歳で初代歌川豊国(1769年 - 1825年)に入門。
豊国は華麗な役者絵で一世を風靡した花形絵師であり、弟子に歌川国貞(1786年 - 1864年)がいる。

国芳は入門の数年後、1814年(文化11年)頃から作品発表を開始している。

すでに歌川派を代表していた兄弟子、国直の支えもあって腕を磨く。

師・豊国没後の1827年(文政10年)頃に発表した『水滸伝』のシリーズが評判となる。
"武者絵の国芳"と称され、人気絵師の仲間入りをした。

国芳には多くの門弟がおり、「最後の浮世絵師」と呼ばれた月岡芳年や、幕末から明治前期に活躍した異色の画家・河鍋暁斎も国芳に弟子入りしたことがあった。

国芳は明治維新を目前にした1861年(文久元年)、数え年65歳で没している。

作品

作品は役者絵、武者絵、美人画、名所絵(風景画)から戯画、春画までさまざまなジャンルにわたっているが、中でも歴史・伝説・物語などに題材を採り、大判3枚つづりの大画面に巨大なクジラや骸骨、化け物などが跳梁するダイナミックな作品に本領を発揮している。

また、無類の猫好きとしても知られ、常に数匹の猫を飼い、懐に猫を抱いて作画していたと伝えられるほどで、猫を擬人化した作品も多い。

猫に限らず、狸・雀・蛸などの身近な動物を擬人化して世相を風刺したり、動物に託して江戸の庶民の生活を描写した作品も多い。
これらからは現代日本にてますます盛んな漫画・劇画の源流の一つを見る事ができよう。

「寄せ絵」や、自宅で絵を描く自身の顔の前を、絵の中の動物や人物が横切り、自身の顔を隠している「自画像」のような遊び心のある作品も国芳の得意としたものである。

華美をいましめる天保の改革(1841年 -)以後、幕府の禁令によって役者や遊女の1枚刷り錦絵は出版できなくなってしまう。
しかし、国芳は、そんななかでも、いやそんななかであるからこそ持ち前の江戸っ子気質を大いに発揮している。

魚の顔を役者の似顔にするなど、さまざまな便法で禁令を潜り抜け、絵師は役者の似顔を世に送り出し続けた。

影響

国芳はまた、柴田是真(蒔絵、画家)、渡辺崋山(田原藩家老、学者、画家)ら当時の文化人とも交流があり、画風にも当時の新知識を彼なりに研究・吸収した跡が見られる。

『相馬の古内裏』という作品に登場する巨大な骸骨(「国芳画廊」の項を参照)は西洋の解剖学の書物を研究した成果だと言われている。

また、『忠臣蔵十一段目夜討之図』は未熟ながらも西洋画の遠近法さまざまな図法(遠近法の一種)を学んだ跡が見え、画面に奥行きと緊張感を与えている。

国芳画廊

代表作

『相馬の古内裏』

『みかけハこハゐがとんだいゝ人だ』

『忠臣蔵十一段目夜討之図』

『太平記兵庫合戦』 :福海寺で足利尊氏を探す、白藤彦七郎。

画像-1:『相馬の古内裏』 滝夜刃(滝夜叉)姫の操る妖怪がしゃどくろ相馬の古内裏と戦う大宅太郎光圀。
これらは縦3枚を合わせて一組とした国芳得意の大判作品。

画像-2:『宇治川の戦い之図』 先陣を競う梶原景季(左)と佐々木高綱(中央)。
武者絵。

画像-3:『??澤山大相撲』 河津三郎祐親と股野五郎景久の一番。
相撲絵。

画像-4:『大山石尊良辧瀧之図』 大山石尊(石尊大権現、現・大山阿夫利神社)の滝に参拝する人々。
名所絵。

画像-5:『牛若丸僧正坊隋武術覚図』 鞍馬山にて大天狗の鞍馬山僧正坊(中央)から武術の手解きを受ける源義経(牛若丸。右上)。

画像-6:『義経一代記 五条ノ橋之図』 牛若丸と武蔵坊弁慶、五条大橋の闘い。

画像-7:大物浦にて義経主従と戦う平知盛の霊の海中の陣。

画像-8:同じく、義経主従を襲う平家の亡霊。

画像-9:『七福神』
画像-10:『其のまま地口 猫飼好五十三疋』(そのまま-じぐち・みやうかいこう-ごじうさんびき) 東海道五十三次の宿場町名を地口で猫の仕草として描いたもの。
江戸の日本橋 (東京都中央区)日本橋(橋梁)は「二本ぶし(2本の鰹節)」、大磯宿は「(獲物が)重いぞ」、見附宿は「寝つき」、御油宿は「恋」、桑名宿は「食わぬ」、石薬師宿は「いちゃつき」、土山宿は「ぶち邪魔」、草津宿は「炬燵」、そして、捕まった鼠の悲鳴「ぎやう」を京に掛けて締めとしている。

画像-11:『山城国 井手の玉川』 美人画。

画像-12:化け猫

画像-13:『みかけハこハゐが とんだいゝ人だ』 「大ぜいの人が よつて たかつて とふと いゝ人をこしらへた とかく人のことハ 人にしてもらハねバ いゝ人にはならぬ(大勢の人が寄ってたかって、とうとう、いい人をこしらえた。
兎角、人の事は人にしてもらわねば、いい人には成らぬ)」 寄せ絵。

画像-14:『甲越勇将伝 本庄越前守繁長』 上杉謙信の重臣・本庄繁長を描いた武者絵。

画像-15:美人画の一つ。

画像-16:『禽獣図会 大鵬 海老』
画像-17:『誠忠 義士肖像』より「堀部矢兵衛金丸」 赤穂四十七士の一人、堀部矢兵衛。
武者絵。

画像-18:『猫のけいこ』 戯画。
団扇絵。

画像-19:『荷宝蔵壁のむだ書』

画像-20:『人かたまつて人になる』 「人おほき人の中にも人ぞなき 人になれ人 人になせ人 (人多き人の中にも人ぞ無き 人に成れ人 人に為せ人)」
画像-21:『百人一首之内 山部赤人』
画像-22:無題(蛸と鯉、岩と魚)。

画像-23:『猫の当字 なまず』 :当て字絵。

画像-24:『東都???七津意呂婆 浦橋八十之助』 役者絵。

画像-25:『開運出世合体七福神』

[English Translation]