歌橋 (Utahashi)

歌橋(うたはし、生没年不詳)は江戸時代後期~幕末の女性で13代征夷大将軍・徳川家定の乳母。
大奥での位は上臈御年寄。
院号は法好院。

徳川家定が嘉永6年(1853年)に13代将軍になると、歌橋は西ノ丸大奥から本丸大奥に移り住む。
大奥では家定の実母・本寿院以上の権勢を握り、大奥を牛耳っていた。
それは母・本寿院や父・徳川家慶が家定の育児を全て歌橋にまかせっきりで、家定が歌橋を慕っていたからだと言われている。
また家定は人前に出ることを極端に嫌う性格だったと言われ、乳母である歌橋にしか心を開かなかったという。

家定の後継者争いでは南紀派に属し、瀧山、本寿院らと共に14代将軍に紀伊藩主・徳川慶福(後の徳川家茂)を推した。

家定没後は落飾して法好院と号した。

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