正親町三条公仲 (Ogimachisanjo Kiminaka)
正親町三条 公仲(おおぎまちさんじょう きみなか、弘治 (日本)3年4月20日 (旧暦)(1557年5月18日) - 文禄3年6月26日 (旧暦)(1594年8月12日))は、安土桃山時代の公家(公卿)。
堂上家(家格は大臣家、藤原北家公季流三条庶流)である正親町三条家の15代当主。
経歴
権中納言・正親町三条実福の子。
室は大納言・勧修寺晴秀の娘。
実子に、権大納言・正親町三条実有、右兵衛佐・甘露寺豊長(蔵人頭・甘露寺経遠の養子)、権大納言・三条公広の室など。
天正13年(1585年)7月13日、参議、のち、正三位・権中納言。
慶長5年(1600年)6月26日、贈准大臣。