正親町三条公則 (OGIMACHISANJO Kinnori)
正親町三条公則(おおぎまちさんじょう きんのり、安永3年6月16日 (旧暦)(1774年7月24日)‐寛政12年9月1日 (旧暦)(1800年10月18日)は、江戸時代の公卿。
後桃園天皇(118代)・光格天皇(119代)時代の廷臣。
父は正親町三条実同。
室は勧修寺経逸の娘。
子息に正親町三条実義。
娘に柳原隆光の室がいる。
安永5年(1776年)に叙爵。
以降累進して侍従・左近衛権少将・美作権守・左近衛権中将をへて、寛政8年(1796年)参議となり、公卿に列する。
寛政11年(1799年)には中納言となったが、翌年に薨去した。
享年27。