正親町三条公治 (OGIMACHISANJO Kinharu)
正親町三条 公治(おおぎまちさんじょう きんはる、嘉吉元年(1441年) - 明応4年3月12日 (旧暦)(1495年4月7日))は、室町時代の公卿。
後花園天皇(102代)・後土御門天皇(103代)の二帝にわたり仕えた廷臣で官位は正二位権大納言まで昇った。
父は内大臣正親町三条実雅。
兄に正親町三条公綱。
子に正親町三条実興、正親町三条実望、滋野井季国、尊実(比叡山延暦寺の権僧正)。
娘に鷹司兼輔室がいる。
初名は公躬、公真。
文安3年(1446年)叙爵。
侍従・甲斐権介・右近衛少将・右近衛中将・下野権介・蔵人頭を経て、長禄2年(1458年)には参議となり、公卿に列する。
その後、越前権守・讃岐権守・権中納言を経て、文明13年(1481年)に権大納言となり、延徳元年(1489年)まで務めた。