正親町三条実同 (OGIMACHISANJO Sanetomo)

正親町三条実同(おおぎまちさんじょう さねとも、寛延元年9月3日 (旧暦)(1748年9月25日)‐天明5年1月15日 (旧暦)(1785年2月23日))は、江戸時代中期の公卿。
主に後桃園天皇(118代)・光格天皇(119代)の二帝にわたり仕えた廷臣。
最終官位は従二位参議。
父は権大納言正親町三条公積。
母は権大納言三条西公福の娘。
弟に左近衛権中将花園実章がいる。
子息に権中納言正親町三条公則。
娘に権大納言中山忠頼室、権大納言柳原均光室がいる。

寛延3年(1750年)に叙爵。
以降累進して、侍従・右近衛権少将・右近衛権中将をへて、明和6年(1769年)に従三位参議となり、公卿に列する。
明和8年(1771年)に一度辞したが、安永8年(1779年)には参議に再任。
さらに左近衛権中将を兼務し、踏歌節会外弁をつとめたが、天明5年(1785年)に薨去。
享年38。

[English Translation]