正親町公叙 (OGIMACHI Kinnobu)
正親町 公叙(おおぎまち きんのぶ、永正11年8月16日 (旧暦)(1514年9月4日) - 天文 (元号)18年8月7日 (旧暦)(1549年8月29日))は、戦国時代_(日本)の公家。
おもに後奈良天皇(105代)に仕えた。
公卿正親町実胤(権大納言)の長男として京都に生まれる。
母は三条西実隆(内大臣)の姫。
永正元年(1515年)に叙爵。
大永3年(1523年)に元服。
その後、右少将・右中将・蔵人頭をへて、天文 (元号)4年(1535年)に参議となり、公卿に列する。
天文 (元号)7年(1538年)には権中納言となり、天文 (元号)13年(1544年)には従二位へと進んだ。
天文 (元号)15年(1546年)に権大納言。
天文 (元号)17年に正二位へと進み、権大納言を辞した。
子がなかったため、庭田重保(権大納言)の子正親町季秀を養子に迎えた。