正親町公明 (OGIMACHI Kinaki)
正親町 公明(おおぎまち きんあき、延享元年3月25日 (旧暦)(1744年5月7日) - 文化 (元号)10年10月13日 (旧暦)(1813年11月5日))は、江戸時代後期の公家。
父は正親町実連。
母は内大臣広幡豊忠の娘。
初名は公功。
1765年(明和2年)蔵人頭、1768年(明和5年)参議、1779年(安永8年)大納言に至る。
翌1780年(安永9年)から院評定衆・院伝奏を歴任。
1791年(寛政3年)から武家伝奏となる。
しかし、翌1792年(寛政4年)尊号一件(光格天皇が実父典仁親王に太上天皇号を贈ろうとしたが幕府に拒否された事件)の責任をたらされて職を免じられた。
1803年(享和3年)後桜町天皇の院別当を辞して、出家し竟空と号した。