永島四郎 (NAGASHIMA Shiro)
永島四郎 (ながしましろう、出生年不明-1963)長野県長野市(松代)出身のフラワーデザイナー。
華道家。
日本のフラワーデザイン(花卉装飾)の歴史に於ける最古の先駆者。
永島は明治、大正、昭和初期の戦中・戦後の時代に、三井財閥が世界各国から草花を集めて造った三井農園(戸越農園)、現在の第一園芸に務めた。
外国人接待所として建築された三井家の別邸迎賓館などを飾る花卉装飾の為、それまでの「いけばな」の西洋化を急務として求められた。
1922年、日本人として初めてアメリカにてフラワーデザインを学んでくるよう命じられた。
帰国後の永島の作風は、西洋で得たものに日本人の持つ「わびさび」の心を併せ持った独特のものとなった。
日本文化の西洋化の一端を担うこととなった。
1936年には東京銀座に「婦人公論花の店」という名の生花店を開業(戦争により1944年に閉店)。
「花卉装飾には冨の裏づけが必要である」という名言を残した。
弟子に山本晃 (花飾学者)、等がいる。
また、主な著書に「花のデザイン」「新しい日本の花卉装飾」などがある。
1963年(昭和38年)死去。