河越貞重 (KAWAGOE Sadashige)

河越 貞重(かわごえ さだしげ、文永9年(1272年) - 元弘3年5月9日 (旧暦)(1333年6月21日))は鎌倉時代末期の武蔵国入間郡河越館の武将。
武蔵河越氏の当主。
河越宗重の嫡男。
河越高重の父。
従五位下・三河国守。
法名は乗誓。

河越氏は代々武蔵国留守所惣検校職に就いていた。

経歴

元弘元年(1331年)5月、日野俊基らの元弘の変が起こると、鎌倉幕府の有力御家人として上洛。
9月、河内国下赤坂城で挙兵した楠木正成を討つための大和軍に加わる。

元弘3年(1333年)4月、丹波国篠村庄で後醍醐天皇側に寝返った足利高氏・赤松円心らの六波羅攻撃を防いでいたが、六波羅探題は陥落。
北条時益・北条仲時と共に、光厳天皇を奉じて鎌倉へ退却するが、近江国で比叡山の僧兵の闇討ちにあった時益は戦死。
残った仲時とそのまま東へ向うが、5月9日、番場宿において佐々木道誉の軍勢に行く手を阻まれ、蓮華寺で自害した。
享年62。

[English Translation]