河鰭公陳 (KAWABATA Kintsura)
河鰭 公陳(かわばた きんつら、安永2年9月4日 (旧暦)(1773年10月19日) - 文政2年8月22日 (旧暦)(1819年10月10日))は、江戸時代後期の公卿。
父は権大納言中山愛親。
権大納言河鰭実祐(1758年-1832年)の養子となる。
実子はなく、養子に河鰭実清(権大納言飛鳥井雅威の子だが、17歳で夭折)・河鰭実利(右近少将持明院基敦の子。1800年-1850年)がいた。
文化 (元号)2年(1805年)12月8日に従三位に叙せられる。
文化12年(1815年)参議となり、その後、従二位近衛府まで昇進した。
文政2年(1819年)8月22日、47歳で薨去した。