津田算長 (TSUDA Kazunaga)
津田 算長(つだ かずなが(さんちょう)、明応8年(1499年)頃 - 永禄10年12月22日 (旧暦)~12月23日 (旧暦)(1568年1月21日~1月22日)頃)は戦国時代 (日本)の武将。
津田監物。
杉ノ坊算長。
弟に津田妙算、子に津田算正、杉ノ坊照算、津田有直がいる。
津田正信を祖とした楠木氏一族の末裔を名乗る。
紀伊国吐前城主。
根来寺僧兵の長。
「津田流砲術」の祖。
自ら種子島に渡り、領主・種子島時堯から一丁の種子島銃を買い、職人・芝辻清右衛門に鉄砲を複製させた。
鉄砲技術を算長が関西に持ち込んだ事によって、紀伊・堺市などは鉄砲の大量生産国となった。
なお、『鉄炮記』ではもともと種子島の住人であったとしている。
永禄10年(1567年)死去。
享年69。