渡辺篤 (剣客) (Atsushi Watanabe (an expert swordsman))
渡辺 篤(わたなべ あつし、天保14年(1843年) - 大正4年(1915年))は、京都生まれの剣客、京都見廻組肝煎。
初名は一郎。
渡辺時之進の長男として生まれる。
大野応之助の元で西岡是心流(剣術)を修める。
他にも円明流(剣術)・荻野流(砲術)・無辺流(槍術)・日置流(弓術)・大坪流(馬術)などを習得。
元治元年(1864年)、禁門の変の折には二条城の警備を担当した。
同年、京都文武場剣術世話心得に就任。
慶応3年(1867年)、京都見廻組御雇七人扶持を皮切りに肝煎介・肝煎と昇進。
同年11月15日、佐々木只三郎・今井信郎らと共に坂本龍馬・中岡慎太郎の暗殺に加担したとされる。
慶応4年(1868年)、鳥羽伏見の戦いに旧幕府軍側として参戦。
この頃に名前を「一郎」から「篤」に改名。
明治になり、新政府(薩摩藩出身者が後押ししたと言う)による計らいにより奈良県警の監察官(のち本部長)として奉職した。
晩年、近江屋事件の様子を弟の渡辺安平や弟子の飯田常之助などに語り、父から贈られた刀「出羽大掾藤原国路」で龍馬を斬ったと述べている。