源季実 (MINAMOTO no Suezane)
源 季実(みなもと の すえざね、生年未詳 - 平治元年12月30日 (旧暦)(1160年2月9日))は、平安時代末期の武将。
文徳源氏の源季範の次男。
母は下毛野敦俊の娘。
左衛門少尉。
周防判官と呼ばれる。
諱は末実とも。
文徳天皇の皇子源能有に始まる家柄で、父の季範は鳥羽天皇に仕える北面武士だった。
その関係もあり、季実は(保元元年)1156年の保元の乱に際しては後白河天皇の麾下に入り、はじめ淀路の警護に当たる。
本戦において崇徳天皇方が総崩れになると、宇治路を固めて南都軍の備えに当たり、また藤原教長・源成雅の逮捕や、斬首された源為義の首実検、捕虜となった源為朝の護送といった戦後処理を担当した。
しかし乱の直後、信西の天王寺参詣の供を辞退したため、官位を剥奪され篭居する。
このため、(平治元年)1159年の平治の乱においては藤原信頼・源義朝に同心して信西を討ち取り、一時的に従五位下河内守に任ぜられる。
しかしやがて平清盛の反撃に逢い敗走。
官を解かれた上、嫡子・源季盛とともに捕らえられ斬首された。