源成雅 (MINAMOTO no Narimasa)
源 成雅(みなもと の なりまさ、生没年未詳)は、平安時代後期の公家。
村上源氏の陸奥守源信雅(右大臣源顕房の子)の四男。
母は伊予国守藤原国明の女、あるいは「為家朝臣女」とされるが不詳。
正四位下、左近衛中将。
姉妹が妻となっていた藤原頼長に近侍し、保元元年(1156年)における保元の乱の際には、頼長とともに崇徳天皇方に参加する(当時成雅は左近権少将の職にあった)。
上皇方が後白河天皇方に敗れると、出家(法名は蓮浄)し恭順の意を示すが、赦されず越後国に配流となった。
数年を経て応保年間には帰洛が許され、その後かつての敵である後白河院の近習となっていたことが『梁塵秘抄』に見える。
僧形となっていたことから、世上、近江中将入道と呼ばれたという。
降って安元3年(1177年)には、鹿ケ谷の陰謀に加担したかどで捕らえられ、再度佐渡国に配流となっている。