源致公 (MINAMOTO no Okitada)
源 致公(みなもと の おきただ、天徳 (日本)元年(957年) - 寛仁2年(1018年)8月)は、平安時代中期の武将。
清和源氏・源経基の三男源満季の養子(光源氏のモデルになったといわれる醍醐源氏・左大臣源高明の長男源忠賢の子)。
清和源氏源満季流の家督を継ぐ。
兵部丞・官位上・下総国守となる。
991年(正暦元年)春、源頼光と共に鬼賊を討つ。
1018年(寛仁2年)8月に62歳で死去。
子に源満季(式部丞・越前守・従五位下)、子孫に源満季(大膳大夫・越前守・修理職・兵庫丞・従四位下)、源憲尊、源成定(武蔵介)、源成實(武蔵介・伊豆守)、源為経(検非違使右衛門尉・後に隠岐国配流、詳細は不明)、源季信、源忠満(播磨介)、源高行(大学助)、源忠政(皇后宮侍長)などがいる。