漆間時国 (URUMA URUMA no Tokikuni/Tokikuni)

漆間 時国(うるま ときくに、承徳2年(1098年)頃 - 保延7年(1141年))は美作国の押領使であった。
法然上人の父にあたる。
妻は秦氏である。

略歴

出自については各説あるが詳細は不明である。

長承2年(1133年)4月7日に、息子が生まれ、名を勢至丸と名づけた。
勢至丸というのは勢至菩薩のように賢い知恵を持った子供という意味である。
学問と武芸に秀でていて、ことに弓を射ることにおいては格別のものがあった。
ところが、保延7年(1141年)、明石源内武者定明が不意に夜討ちを仕掛けてきた。
時国は、この時重傷を負ってしまった。
勢至丸が定明に向かって矢を射つと、矢は定明の顔面に命中し、彼は這々の態で逃げ帰った。
時国は瀕死の床の中で、決して仇を討たないようにと、勢至丸を諭し、その後間もなく亡くなった。

蓮生(出家した熊谷直実)は各地を行脚する中、建久4年(1193年)美作を訪れ、法然の父である漆間時国の旧宅、すなわち法然生誕の地に誕生寺を建立した。
法然の父は地元の人に、尊敬されるような人だったと言われている。

[English Translation]