無学祖元 (Mugaku Sogen)
無学祖元(むがく そげん、嘉禄2年(1226年) - 弘安9年9月3日 (旧暦)(1286年9月22日))は、中国明州慶元府(浙江省)出身の鎌倉時代の臨済宗の僧侶。
諡は仏光禅師・円満常照国師。
日本に帰化して無学派(仏光派)の祖となる。
字は子元。
経歴
1226年 明州慶元府の許家に生誕。
1237年 兄の仲挙懐徳の命で杭州市の浄慈寺の北礀居簡のもとで出家。
1240年代 径山の無準師範に参じ、その法を嗣ぐ。
この頃、石渓心月や虚堂智愚、物初大観、環渓惟一らを歴参する。
1262年 東湖の白雲庵に移転。
1275年 温州の能仁寺に元朝支配から避難、「臨剣の頌」を詠む。
乾坤孤筇を卓つるも地なし
喜び得ん、人も空、法もまた空なることを
珍重す、大元三尺の剣
電光、影裏に春風を斬らん
1279年 鎌倉幕府執権北条時宗の招きに応じて亡命的に来日。
鎌倉で蘭渓道隆遷化後の建長寺の住持となる。
時宗を始め、鎌倉武士の信仰を受け、1281年(弘安4)弘安の役前後の政策に精神的影響を与える。
1282年 元寇での戦没者追悼のために時宗が創建した円覚寺の開山となる。
のち、建長・円覚に兼住して日本の臨済宗に影響を与える。
1286年 建長寺にて示寂。
墓所も同所にある。
語録
『仏光国師語録』
弟子
高峰顕日、規庵祖円。
高峰門下に五山派の主流となる夢窓疎石が出る。
主な作品
「与長楽寺一翁偈語」(国宝) 京都・相国寺(承天閣美術館保管)
「六祖慧能図」の賛文(国の重要文化財) 大阪・正木美術館