牧野福成 (MAKINO Tomishige)
牧野 福成(まきの とみしげ、宝暦11年(1761年) - 天明3年5月10日 (旧暦)(1783年6月9日))は、丹後田辺藩の世嗣。
第5代藩主・牧野惟成の三男。
官位は従五位下、山城国守。
安永2年(1773年)に兄の牧野則成が病弱により廃嫡されたため、世嗣に指名される。
天明元年(1781年)徳川家治に拝謁・叙任するが、天明3年(1783年)、23歳で早世した。
代わって、弟の牧野宣成が嫡子となった。
牧野 福成(まきの とみしげ、宝暦11年(1761年) - 天明3年5月10日 (旧暦)(1783年6月9日))は、丹後田辺藩の世嗣。
第5代藩主・牧野惟成の三男。
官位は従五位下、山城国守。
安永2年(1773年)に兄の牧野則成が病弱により廃嫡されたため、世嗣に指名される。
天明元年(1781年)徳川家治に拝謁・叙任するが、天明3年(1783年)、23歳で早世した。
代わって、弟の牧野宣成が嫡子となった。